永遠に幸せになりたかったら。
院長が釣りについて雑誌記事を書きました。
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山陰の漁村、浜坂町諸寄に生まれた私は、昭和27年4歳の夏、初めて釣りを経験した。
漁師の息子3名に船に乗せられ連れていかれたのである。
大人と思っていた彼らは、後に確認すると、小学5年生であった。
浜から小さな伝馬船を出し、櫓ろを漕いで浜辺より500m沖の磯に渡ったのだから驚く。
磯では動きの速い、海のゴキブリと言われる「フナ虫」を捕って、餌とし
小鯛を釣るのである。
私は怖くて磯に上がることはできなかったが、彼らは次々に素早く逃げるフナ虫を捕まえ、ちょっと潰して動けなくし、餌箱に蓄えるのである。
道糸の先に錘を付けた胴付き仕掛けを下ろす。
小鯛が次々と釣れた。船が揺れ、私は怖くてわんわん泣いていたが、仕
掛けを渡されるとすぐに小さな真鯛が釣れた。
小さな一匹であったが、今もその時の感触が残っているように感じている。
小学生時代の夏休みは鳥取市の祖母の家で過ごすことが多く、毎日近くの用水路やため池で小さな鮒、ドジョウ、ナマズ、モロコなどをよく釣った。中学、高校時代は神戸港でのアジやタナゴ、須磨や舞子の海岸ではメゴチやアイナメをよく釣った。
大学時代は磯釣りで、潮岬や足摺岬でメジナやクロダイは釣れたが、石鯛
は結局釣れなかった。
釣果はすべて貴重なタンパク源として食卓に並んだ。
鮒やナマズをおいしいとは思わなかったが、祖母や母親から褒められるととても嬉しかった。
故にキャッチアンドリリースの釣りは駄目で、キャッチアンドイートを
常に心掛けている。
要するに大切なのは「本能を揺さぶり、痺れるような快感」「釣
果がおいしいこと」「喜ばれ褒められること」の3点が基本であると思っている。
船釣りを始めたのは昭和52年頃からであった。
真鯛釣りが主であったが「逃がした魚は大きい」のではない「大きい魚は逃
げる」とつくづく感じている。
ダボハゼは簡単に釣れるが、大物になればなるほど、人は知恵を絞り、工夫や改善の歴史に支えられた漁具を用いて、初めて獲得されるのである。
魚側から見ると現代ほど生きにくい時代はないと思われる。
素材の改良、発明は竿やリール、道糸、針、ハリスなどの性能を飛躍的に進歩させ、初心者でも大物を獲得するチャンスが訪れたのである。
食物連鎖下位の魚は食べられる運命にあるため味は大変良いのである!
ただし数が多く容易に釣れるため飽きてしまう。中、上位と魚は次第に数が減ずるため獲得は難易度を増す。
それらを獲得するための漁具は非常に高価となっている。それらのため一生懸命働いて頑張ろうと思っている。
尊敬する開高健先生は名著「オーパ!」で中国の古い諺を紹介した。
「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」
以来、大勢の釣り人、釣りクラブ、釣り船が、この諺を引き合いに出して、今やもっとも有名なキャッチコピーとなっている。
あなたも釣り始めませんか?